HSPに出合う前の私の実体験談(ストーリー)をお話します

人の心は目に見えないものです。

心で感じること、嬉しい、楽しい、悲しい、怒り、悔しい、、、
いろいろな思いがあり、それが人の表情や態度、行動として形に現れます。

でも心って見えないものだから、時に見失い、自分の本当の心さえ分からずに不安になることもあるのです。見えない自分、隠れている自分が怖くて、自信がなくて、不安になって、前に進めず立ち止まってしまう。

そんな自分が弱くて嫌いで、また自信をなくす、、、

こんな繰り返しを私は20年以上経験してきました。

しっかり者を期待された学生時代

小学生までの私は、比較的優等生として、学校でも学級委員やリーダーを任される真面目でしっかりした子どもでした。

給食が苦手で、一年生の間は毎日教室の片隅で居残り給食でしたが、普段からしっかり者として期待されていた7歳の私は、それを親にも誰にも言えず一人つらさを抱えていました。

中学に入った頃から、大人数の友達と騒いだりはしゃいだりすることができなくなり、決まった子としか行動しない、他の人から見ると消極的なイメージの生徒だったと思います。(今思えば、このような特性も持った私はまさにHSCだったんだなあと。もちろん当時はHSPやHSCといった言葉は知らず、そのような気質があることなんて考えもしませんでした。)

高校受験に失敗した私は、ショックや悲しみ、恥ずかしさと劣等感をうまく発散することができず、ほとんどの子が合格して喜びに満ちているなか、

「どうして自分だけこんな目にあうんだろう。何かの罰が当たったのではないか」と、

みじめで笑えないまま中学校卒業式を迎えた記憶があります。

そのまま私は滑り止めで合格した高校に入学したのですが、高校生活では何かふっきれたように明るく前向きに、友達にも恵まれ、以前の生活と一変した毎日を送っていました。

産後うつに悩まされた出産後の生活

高校も順調に卒業し、結婚もして順風満帆な生活を送っていました。
しかし、悪夢のような日々がやってきたのは24歳、長男を出産して2か月のころです。

一生懸命がんばって、とにかく育児と家事を両立させようとしました。
しかし、日々時間に追われる感覚に、体はだるい・眠い、なのに一睡もできない。子どもを抱っこしても全然可愛いと思えず泣き声を聞くだけで胸が締め付けられるように苦しくなってしまう。

泣き止まない子どもの隣でただただ立ちすくむ自分がいました。

次第に朝起きるのがつらくなり、授乳中も勝手に涙があふれてくるように。買い物にいっても何を買ってきたらいいのか分からないため夕飯の支度もできず、毎日を生きていることがつらくなってしまいました。

「産後うつ状態」

そう医師から診断されても受け入れることができず、どうしてまた自分ばかり、、、何も悪いことしてないのに、、、これ以上どうやって頑張ればいいの?と自問自答の繰り返しが続きました。

ストレスで何もかもうまくいかず離婚、再婚、離婚の繰り返し

何もかもがうまくいかず、長男が一歳を迎えるころには離婚していました。

ストレスで気分障害になり仕事を休むこともありました。
ただ、子どもを保育園に通わせるようになったあたりからは少しずつ元気を取り戻し、だんだんと子どもの成長を楽しみに過ごせるようになりました。
そうして時が経ち、再婚をして長女を授かることになります。

長女を出産する時は、

「もう大丈夫。次は絶対にがんばって幸せになる!」

そんな自信ありげな想いが、頭を駆け巡っていました。(しかし今思えば長男の時のようになるまいと、出産後よりさらに力が入っていたかもしれません。)

そうしたなか二度目の産後うつ。

そして二度目の離婚。

適応障害と診断され転職も繰り返す。

自分の何がいけなくて、どうすればいいのか。
どこにも答えが見つからず、自分を責めることしかできませんでした、、、

HSPとの出合い

そんな時、本屋さんでふと目に留まった文字。

HSP

惹きつけられるようにその場で手に取り、読んでいました。

衝撃でした。

全てが自分に当てはまり、これまでつらく苦しんできた原因はコレだったんだ!と。

それから独学でHSPについて学び、知れば知るほど自分がHSPだという確信を持ちました。

同時に子供たちもHSC気質だったことが分かり、今までグチャグチャにからまっていた配線が少しずつ解(ほど)けてきたのです。

例えば、HSPの私は聴覚が敏感で音や声に対して刺激を受けやすいため、子どもの泣き声にもすぐに反応してしまいます。
「赤ちゃんは泣くことが仕事だから少しぐらい泣かせていても大丈夫。オムツとミルクさえあれば心配ない」と、周りの助言も納得できたので、必死で泣き声を気にしないようにしていました。

「気にしないようにする・・・」

頭では分かっていても、この一言が、HSPにとってどれだけつらく苦しいものかを、当時の私は考えたこともありませんでした。